プロフィール

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ハンドルネーム : 梅

1968年8月生まれ おとめ座 A型
在宅でフリーで仕事をしている兼業主婦。
家族はダンナ(1963年生まれ)、長男(1997年生まれ)、次男(1999年生まれ)、三男(2001年生まれ)
諸事情により、私の実母と同居。
ペットは金魚とドジョウとデグーマウス。

ダンナと息子3人の男系家族で、いつの間にかすっかり肝っ玉母さんに。
でも心は乙女のまま、キラキラと光るガラスやビーズが大好きでデコアートをやっています。
体を動かすことも、食べることも好きで、色々なことにチャレンジするのも大好き♪
このブログでは、そうした趣味に関することをメインに書いています。
夢中になれるものがあるって楽しいです。(^^)
子どもがいるし、主婦だし、才能ないし、こんな年だし・・・って、いろんなことをあきらめがちだけど、ちょっとだけ頑張ってトライしてみると、毎日がぐっと充実して楽しくなよ~ってことが伝わったら嬉しいです♪



■ちょっと詳しいプロフィール
そんな私の今までの道のりを紹介します。(長いですっ)


【自分はダメだと思っていた子ども時代】
母は、「あなたの為に」といいながら私がやりたいということには反対し、私が何かを自分でやろうとすると「お母さんがやってあげるわ」と取り上げる、そんな人でした。
誕生日にもらったジグソーパズルが学校から帰ってきたら出来上がっていて「やっといてあげたわよ」と言われた時には泣きました。そうしたら「せっかくやってやったのに何なのよ」と逆切れ。家事も「私がやるからいい」「私がやった方が早いしキレイだからいいわよ」と手伝いなどさせず、そのくせ、同じ年のいとこと比べては「○○ちゃんは家のお手伝いも勉強もこんなにできるのに、あなたはちっともできなくて恥ずかしい。そんなんだと私が笑われちゃうわ」とやらせないくせに、できないと責める。
今思えば何もかも取り上げられてやらせてもらえないんだから、できないのは当たり前なんだけど、当時は「私はちゃんとできないダメな子なんだ」と思って過ごしていました。

【夢中になれるものがなくつまらなかった中学時代】
小学校高学年で両親が離婚。私たち姉妹は母に引きとられました。
中学で部活に入ろうとしたら、「部活で遅くなると妹が学校から帰ってきて長い時間1人でいなきゃいけなくなる。家族なんだから助け合うのが当然でしょ。あなたは自分だけよければいいっていう人間なのっ!」と母が猛反対。帰宅部になりました。
小学校からの友人は部活に入り、上達したり試合にでたり、先輩との交流ができて遊びにいったりと楽しそうで、でも私はやりたいこともなく夢中になれることもなく、つまらない毎日。
「生きてても仕方ないよなぁ」なんて思いながら過ごしていました。



【認められる喜びを知った高校時代】
高校は奨学金を受けて通いました。
母から「だれのおかげで生活できてると思ってるの」とよく言われていたので、母の干渉を避けるには自立するしかないと思い、バイトをして学用品や自分の小遣いや部活にかかるお金は自分で賄い、「私が自分のお金でやるんだから!」とやりたいことが少しづつできるように。
部活でもバイトでも頑張れば認めてもらえ、「私だってやればできるんだ!」と思えるようになりました。母のいる家にいたくなかったのでバイトと部活で忙しいのは逆にありがたく、大変だけど充実していました。



【人生のターニングポイントになったワーキングホリデー】
高校を卒業し外資系の総務部に入社。
ちょうどバブル期で、遊びに仕事にと社会人生活を満喫していました。
でも、私が就職し家にお金を入れ始めると、母が収入源として私を当てにし始めました。
「私ひとりじゃやっていかれないんだから」「家族なんだから」とすがられ、社会人になって親の許可を得なくても色々やるようになった私に対し夫婦のように一心同体で自分のそばにいるように求めて泣かれ、経済的にもよりかかられ、このままじゃムリ!!!と限界に達した私は2年間貯めたお金でワーキングホリデー制度を利用してオーストラリアに逃避しました。もちろん、母の許可なしに。

肩の荷が下りるってこういうことなんだ♪と解放感にひたり、誰にも何もじゃまされず、自分のやりたいことをする自由を満喫しました。
スキューバーダイビングのライセンスはアドバンスまで取得。
バックパッカーとして長距離バスで旅行しながら、ダイビングツアーに参加したり、観光名所を巡ったりもして、ムリそうに思えてもやればできるし、何とかなるもんだと実感しました。

同時に、自分で自分を縛りつけていた部分にも気がつきました。
周囲から「長女なんだから」「長女なんだから」と言われ、母や家は生まれながらに背負わされたおろせない荷物だと思って、やる前に「私にはみんなとは違ってそんな自由はないから・・・」とあきらめていたけど、オーストラリアにいる間だけは完全に自由でした。
思い切って行動を起こすと道は開けるんですね。
「やるだけやってみよう」「何もしないよりましだ」こう考えられるようになり、以前からは考えられないほど積極的に行動できるようになりました。
この経験は私にとって本当に宝物のような存在です。




【そして現在へ】
オーストラリアから帰国後、2つ目の職場で主人と出会い結婚。
DINKSの期間が長くスキーにテニスに旅行にと2人の生活を楽しみつつ、不妊治療を受けた時期もあり、家を購入しバリバリ働こうと思ったらうそのように子宝に恵まれ3人の息子の母に。

最初は別居してたんですが、色々とあって、経済的に1人暮らしはムリな母を「長女なんだから」と私が背負い込むことになり現在同居中。
別に暮らしていた時は主人への遠慮もあり、常識的な行動だったので、さすがに結婚して嫁にだした娘からは子離れしたんだ、と思っていたら、同居した途端「一緒に住むようになって家族になったのだから」と態度が急変。地獄のような干渉を受ける同居生活となり、心底後悔しています。

趣味もなく、社交的でもなく、友達も少なく、家に引きこもりがちな母。
大人となった今は、娘達から必要とされることだけがよりどころなのだと理解はしています。
理解はしているけど、母の為に自分の人生をあきらめて過ごすことはできません。

仕事をやめてからは出かけていくところもなくなり、家で1日中テレビを見てるだけの毎日で、ますます厄介な言動をするように。
そんな母と、中学時代の夢中になれるものがなかった私とはどこか似ています。

母を見ていて、そして昔の自分の経験も重ねて思うのは、「やりたいことがある」「できることがある」これって生きていくうえで食事や睡眠と同じくらい大事なことだっていうこと。
なので、今から、息子たちが巣立っても、たとえ1人になっても、「私は私で楽しくやってるから、あなたたちは自分たちのことをしっかりやりなさい」と言える親でいられるよう趣味にいそしんでいます。義母がそういう人で、フラダンスやアートフラワー、1人暮らしのシニア男性料理教室のボランティア講師など、定年後も忙しくしていてカッコいいので♪

それと経済的な負担も息子たちにかけたくない。
今はフリーで仕事をしていて、収入も身分も不安定だけど定年もないし、その気になれば一生働けるっていうのところに魅力を感じています。
特別な資格や職歴があったわけじゃなく、趣味で培ったスキルが役にたって仕事がもらえるようになりました。
でもフリーはクライアントがいなくなれば収入がゼロですからね。何かあったときのセーフティーラインとしても、趣味で始めたデコアートをなんとか仕事につなげたいなぁと思ってます。今の仕事(コピー制作・ネットショップの事務代行など)も、もとはといえば趣味からだし、きっと何とかなるはず!!と仕事の合間に地道に挑戦中。

キラキラと輝いている女性でいられるよう、これからもいろんなことにトライします!!

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